<昭和の思い出>消えゆくニッポンの「出前文化」

私なりに、久々に良い記事を読ませていただいたので転載させていただきました。
時代の流れと言えばそこまで、ですが昭和の時代にも便利なサービスは沢山ありました。
今の時代も、確かに便利ではあるのですが、うまく言葉では言い表せないので、誤解はしてほしくないのですが、
今の便利なサービスって”薄っぺらい”感じがします。
確かに「有り難み」って言うのかな?
それが感じられにくい?
そんな気がします。
何故なんでしょうね?^^
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<昭和の思い出>消えゆくニッポンの「出前文化」

毎日新聞 5/27(土) 9:30配信

 再配達問題をきっかけに、宅配便の配達時間や料金の見直しが始まりました。昼間留守にする家が増え、近所の人に荷物を託すことも難しくなったことが配達の手間を増やす原因の一つですが、同じような手間が原因で、日本から姿を消しつつあるサービスがあります。住宅ジャーナリストの櫻井幸雄さんがリポートします。【毎日新聞経済プレミア】

宅配便見直しの背景には、再配達の手間が配達スタッフの労働条件を悪化させている、何とかしなければ、という危機感がある。だが、その危機感がもっと前から顕在化している業種がある。飲食店の「出前」である。
◇黒電話機の隣に出前メニューの束があった昭和時代
昭和時代まで、すし店、そば屋、中華料理店などは当たり前のように出前をしていた。店がご近所にメニューを配り、各家庭の黒電話機のそばには、メニューの束があるのが当たり前だった。
一方、出前をする飲食店のために、片手でも運転しやすい「スーパーカブ」(原付きバイク)も開発された。また、バイクの荷台に設置する、丼ものの汁をこぼさないで済む「出前機」も発明された。出前に関するさまざまな文化が育ったのだ。
その「出前」が今、急速に衰退している。
といっても、食べ物を家に届けてもらうサービスがなくなったわけではない。ファミリーレストランやファストフード店のケータリングサービスは健在どころか、拡大を続けている印象だ。
ケータリングは増えているのに、出前は廃れている。その二つのいったいどこが違うのか。答えは「手間」の違いにありそうだ。
ケータリングは使い捨ての容器やボックスで届き、容器の回収は不要。届けて料金をもらえば、それで終わりだ。欧米で始まった「ケータリング」は、もともと顧客の求めに応じて指定された場所に出向き、食事を提供するサービスのこと。食事の提供が終われば、そのまま道具類を持って引き揚げる。「後で容器を回収する」という業務は含まれない。
一方、日本の出前は、瀬戸物やお重の箱に入れられて届き、店が後日その器を回収する。出前と回収で2度家に行くため、再配達のような手間がかかるのだ。
◇立派な器の出前だから「手抜き」ではなく「ごちそう」
出前がなくなった背景には、大手のファミリーレストランや宅配すしチェーン店に押され、個人経営の飲食店の商売がうまくいかなくなったという理由もあるだろう。
しかし、それでも生き残るすし店やそば屋、中華料理店はある。生き残っても、「今は出前をしません」というところが多いのは、やはり配達と回収の手間がかかるのが原因なのだろうと、考えさせられてしまう。
日本の「出前」は、立派な器を使う。だから回収しなければならない。だったら世の中のケータリングと同じように、簡易食器にすればよいのに、という考え方もあるだろう。しかし、日本人の感覚では、そうはいかないのである。
重みがあり、ふくよかさを備えた器を使っているから、出前は“ごちそう”であり、手抜きではなくなる。毎日料理を作る人間からすると、たまには自分で料理をしない日を設けたい。また、どうしても自分で料理できない日もある。
そんなとき、使い捨て容器のケータリング食品を並べると、手抜きのそしりを受けそう……。その点、立派な器に入った「出前」であれば、大手を振って選択できるのではないか。出前には「毎日料理をする人」の重責を解放する力があり、その解放力はケータリングよりも大きいのだ。
出前が姿を消し始めたのは、ここ10年ほどの話。10年前のマンションでは、出前に関する独自の工夫を盛り込む物件があった。
◇10年ほど前までマンション入り口にあった「丼返し」
マンションの場合、食べ終わった器をどこに出しておくかが問題だった。オートロックを採用しているマンションでは、各住戸の玄関前に器を出すと、取りに来てもらえない可能性がある。
かといって、マンション全体の入り口であるエントランス近くに器を置くと、美観を損ねる。そこで、一部のマンションで考え出されたのが「丼返し」という工夫だった。エントランスの集合郵便受けの下に、食器返却口のような棚をつくり、両側に小さなドア状のフタを付けるものだ。
器を返却したい人は、マンションの内側からフタを開いて器を棚に入れる。器を回収する飲食店従業員は、マンションの外側から小さなドアを開けて食器を取り出す。これで、食器は人目にふれることなく、粛々と回収される仕組みである。
私は、この「丼返し」を見たとき、日本人の食文化を守る画期的アイデアだと思った。これで、マンション生活でも「出前」を頼みやすくなると。しかし、10年たった今、出前そのものが少なくなり、「丼返し」は過去の遺物となりつつある。
手間と人件費の問題で姿を消しつつある「出前」。せっかくの文化をなんとか存続させる工夫はないものだろうか。

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